2011年 03月 27日
旧敦賀港駅舎(鉄道資料館)
敦賀遠足で倉庫群の次に訪ねたのが...
「旧敦賀港駅舎(鉄道資料館)」です
10年ほど前に戦前にヨーロッパなど大陸への玄関口だった敦賀港駅が再建されました
戦前はこの敦賀港は国際港湾都市として賑わっていました。
日本から大陸へ向かう重要な港として発展しました。鉄道も早い時期に長浜~敦賀間が
開通していました...因みにその頃の長浜駅は現在も保存されています。
その当時はシベリア鉄道経由で伯林(ベルリン)、巴里(パリ)、倫敦(ロンドン)を
結ぶ「欧亜国際連絡列車」の起点にこの敦賀港駅がなっていました。
大戦中、リトアニア領事杉原千畝が多くの亡命ユダヤ人にシベリヤ経由のビザを発行し
救いましたが、そのユダヤ人たちの多くが上陸したのがこの敦賀港駅です。
現在は鉄道資料を展示する「鉄道資料館」になっています。
鉄道が敷設された当時の資料が展示されています。
「旧敦賀港駅舎(鉄道資料館)」です
10年ほど前に戦前にヨーロッパなど大陸への玄関口だった敦賀港駅が再建されました
戦前はこの敦賀港は国際港湾都市として賑わっていました。
日本から大陸へ向かう重要な港として発展しました。鉄道も早い時期に長浜~敦賀間が
開通していました...因みにその頃の長浜駅は現在も保存されています。
その当時はシベリア鉄道経由で伯林(ベルリン)、巴里(パリ)、倫敦(ロンドン)を
結ぶ「欧亜国際連絡列車」の起点にこの敦賀港駅がなっていました。
大戦中、リトアニア領事杉原千畝が多くの亡命ユダヤ人にシベリヤ経由のビザを発行し
救いましたが、そのユダヤ人たちの多くが上陸したのがこの敦賀港駅です。
現在は鉄道資料を展示する「鉄道資料館」になっています。
鉄道が敷設された当時の資料が展示されています。
by kaetuya55
| 2011-03-27 15:06
| 北陸の歴史建築